日本茶道から見た日本人の「和」精神
Ⅰ 序論
茶はアジアに生まれ、アジアが育てた偉大な飲みものである。文明社会に知られるようになってからの歴史も、コーヒーに比べるとははるかに古く、またそ
こから生まれた生活文化の多様さも、はるかに広いものがある。
中国から日本にもたらされたお茶は、ただ飲むことから、礼法?作法をもった茶の湯へそして茶道へと独自の発展を遂げてきた。お茶は日常生活に欠かせない憩いを与え、人の心を豊かにしたのである。そして人間としての折目やけじ
めを教える働きのあるものなのだ。
茶の湯に道を求めたのは日本人の英知であるが、とくに禅とのふれ合いの中で道は深まり、「茶禅一味」「和敬清寂」の精神が強調されるようになった。 茶の湯は、長い間日本人の心の中の「和」文化に深く根をおろし、はかり知れない影響を与えてきた。実は日本人には、日本人ならではの文化があり、その文化は日本人が思わず知らず話したこと、あるいは行動したことなどいろいろなところからも見られるのである。たとえば日本人の独特な文化である「和」
精神は日本茶道に大きな影響を及ぼしてきたと思われる。
日本茶道にに関する本を調べると「和」精神という言葉がよく出てくるが、日本茶道における「和」精神を総括した本はまだ見つかっていない。中国の時事出版社が出版した「中国世界茶文化」の中の日本茶道についての紹介もそうである。日本茶道の紹介は隅々まで触れているが、日本人の「和」精神に関するものは少なく、簡単な紹介だけの話が出てきただけである。実はこの本に書いてある亭主の作法、客の作法などから見ても日本の茶道は日本人の大切な茶道
文化―「和」精神の影響を受けてきたということが分かる。
ここで日本人の「和」精神について詳しく検討し、その形を分類し、茶道のどの面からその精神が見えるのか、あるいは「和」精神が日本茶道にどんなに大きな影響をもたらしたかを論じることにする。日本人の「和」の精神は対象によって大きく二つ分けられ、一つは人と人との「和」精神で、二つは人と大自然にとの「和」精神である。ここで人と人との「和」精神は主に亭主と客の間のすでに決まった作法から論じ、人と大自然との「和」精神は日本の茶室、茶
道具から論じる。
Ⅱ 本論
2.1 日本茶道の歴史について
平安時代に中国から日本に伝われてきた茶道は初めは貴族や武士、僧侶など上流層に属するもので、あまり広がっていなかったのである。安土桃山時代になり、織田信長がお茶を特別なものととらえ、武士の間でのみ精神を落ち着かせるために使用していなかった。しかし,信長の家来だった豊臣秀吉は茶室を政治の場に利用し、多くの人に茶の世界を広めて行った。二人とも武士道の精神のために茶の世界を利用したのですが、信長はその世界に壁を作り、秀吉は広めていった。そして二人の茶道指南役だった千利休によってさらに親しみやすいものへとなって、民間にも普及し、日本の伝統文化の体表として今日に至っ
ている。
2.2 日本茶道の提唱する「和」の根本精神
茶道の提唱する根本精神は、「和」「静」「清」「静」で、千利休の集大成である「侘び茶」精神の「四諦」とも「四規」とも呼ばれ、「侘び茶」を代表す
るもっとも簡潔な言葉として、今なお人々に常に口にされている。 「和」とは、お互いに心を開いて仲良くする(調和する)こと。
「敬」とは、互いに敬いあうこと。
「清」とは、目に見える部分と同時に、心の中も清らかであるということ。
「寂」とは、茶道の美意識を支える「わび?さび」。
ここでは日本の茶道からみた日本人の「和」の精神を論じようとしている。日本人の精神は、しばしば「和」の精神といわれている。「和」の考え方は、聖徳太子の十七条憲法に書いてある。 そのなかの第一条と最後の第十七条にあらわれている。十七条憲法の第1条は、「和を以て貴しとなし…」という言葉で始まる。「和」を説く条文が最初に置かれていることから、聖徳太子が、い
かに「和」を重視していたかが分かった。
「和をもって貴しとなす」は、お互いに協力することが大切だということである。 みんなで仲良く話し合えさえすれば、ものごとは必ず道理にかない、必ず成功するということである。 仲良くすることが最高の姿なのである。 善悪は関係なく、みんなで決めたことが最高の「善」なのである。最後の第17条には、「独り断ずべからず。必ず衆とともに論ずべし」と記されている。つまり、「重大なことは一人で決定してはならない。必ず多くの人々とともに議論すべきである」という意味である。これは第1条に通じるものである。 今の社会は自分の意見を主張することが求められている社会で、私が、私が、となっている。しかし本来の日本の文化は謙虚な世界である。確かに、自分の意見を主張することも今を生きる私たちには大事なことだが、今だからこそ、他人を大切に思いやる気もちが大切ではないかと思われる。そうすればもめごとも喧嘩もおきないのではないだろうか。この二つは、決して相反するものではない。「和」、多くの会社の社是や組織の暗黙の了解事項になっている。いや、もう日本全体の暗黙の基本的な了解事項なのである。とにかく和を乱すことは、日本人が一番嫌うことで、和の思想は私たちの日常生活の隅々にまで根を下ろしているのである。あまりにも一般化したことは、改めて考えるまでも
なくその組織には当然のこととして受け入れられてしまうのである。 茶道とは「もてなし」と「しつらい」の美学だと言われている。これは私たちに日本茶道と日本人の「和」の精神には何らかのつながりがあるというヒントを与える。亭主となった人は、まず露地(庭園)をととのえ、茶室の中に、掛物や水指?茶碗?釜などを用意して、 演出の準備をしなければならない。これらはすべて日本の風土が育んできた文化的な結晶といえるものばかりである。 だから茶道とは「日本的な美の世界」だということができる。つまり、人と大自然との調和の現れである。そして亭主と客の間に通う人間的なぬくもりが重要な要素となる。 それを「和」の精神というのである。日本茶道の「和」の精神-客を敬い、相手と仲良くしようとし、大自然を尊び、大自然と調和して共存しようとする日本人の性格の特徴を日本の茶道の些細なところからも
見出せるのである。
2.3 人と人とのバランスから見た「和」精神
最初の茶道は実は僧侶たちが仏像の前で順番に一つの茶を楽しむ厳かな禅宗
聖餐儀式だったのである。
みんなで一つの茶を楽しんだというこの茶道の生まれの形から見ても「和」の
精神が大きく影響を与えたということが分かる。
現在の日本茶道をみても亭主は客に心のこもったおもてなしが出来るよう?季節や目的に合わせた掛け軸や花?茶道具をそろえ、茶事を企画する。客は?一意専心に亭主の作法を吟味し。これによってもてなす者(亭主)ともてなされた客の心が通じ合い、お互いに尊敬し合い、和やかな時が育まれる。なお、一つになる境地に達するのである。このことを「一座建立(いちざこんりゅう)」
といい、茶道では、この精神をとても大切にされている。
この精神の生まれに、もともとは「和」精神からの影響があるのである。
2.3.1 客の作法から見た「和」精神
客は茶室に入る前にまず手を洗い、亭主について客間に入る。そして自分の持っているコートなどのものを廊下において腰を屈め、靴を脱いで、茶室に入る。茶室に入る前に階級と地位を現す飾り物は外しておくのも慣例であった。今ではそれほど厳しくはないが、手に持ってきた物は外して茶室に入るのである。茶道のどんな細かい点においても厳しい作法が要求される。身飾りから歩き方まで、茶室に入る時から畳の上に座る時まで。これらは茶道人の気質を表すのに欠かせない作法である。また、このようにして自分の謙虚と清潔を表し、亭主に対する尊敬を表す。つまり「和」精神の表れともなる。飲んで渇きを癒し、茶道の優劣を識別したりするのは茶道の目的ではない。複雑な手順、儀式を通
して静寂で、睦まじく、和やかな雰囲気を作るのが目的である。
茶室のドアはドアと言っても窓に等しい空間の狭いドアになっている。その高さはわずか1メートルぐらいで、入るときはみんなが這うようにして入る。これは人々が謙虚に生きていて、みんなが平等だということを象徴するためだそうである。日本には「茶室では皆平等だ。」という格言があるように、普通の
庶民であれ、天皇であれ、この点ではみんな同じである。
客の列で一番前に立っている人から献茶を受けるのが慣例となっているが、後ろの人を誘うとかして遠慮を示すのが普通である。茶碗を渡された場合には両手で受け取り、左手におき、右手で受け取り、左手におき、右手で茶碗を2回回し、また、模様がついている面を亭主の方へ向いて持ち、次はまた両手で茶碗を自分の額まで差し上げ、礼を返す。飲む前には丁重に万物に感謝の意を表し、右側の人に向いて、「お供になりまして、ご勘弁お願いします。」と言い、左側の人に向いて「失礼いたします。」と言う。飲むときにはゆっくり飲み、ゆっくり吟味するのが習慣である。また、舌を鳴らし、茶道具と茶の味、茶室の優雅についての賞美と、賛美を示すのである。飲み終わっても茶を賛美言葉をいい、客のもてなしに感謝の意を表す。その後、また茶碗に模様がつい
ている面を亭主に向け、渡すのである。
これらの客の厳しい作法からも相手を尊敬し、仲良くしようとする「和」の精
神が見られるのである。
2.3.2 亭主の作法から見た「和」精神
2.3.2.1 湯飲みの出し方から見た「和」精神
亭主はひざまずく、軽く茶碗を二回回し、模様がついている面を客のほうへ向いておくのである。茶碗を持つ時は、原則として両手で持ち、サービスする。欧米の飲みものは、客の右側から出す約束であるが、日本茶のとき、机なしで
あれば正面。机のあるとき、客の左側から出すことになっている。客の左から
サービスするときの身体の向きは、客に対して45度の向きにする。 相手との間に、障害物などがあり、両手でのサービスが不可能な場合、片手でサービスされる。しかし、この場合、いったんは両手で相手の近くまでサービ
スし、それから片手で相手の正面まで持ってゆかれる。
菓子も茶も、すべて右手で、出し、右手でささげる。このとき、左手の指は、親指を中にして、残り4本をそろえ、卓上に置かれる。右手の5本の指のうち、親指を上にして、行なう。右腕の肱(ひじ)を張らない。差し出すとき、肱を
伸ばす。また、手のひらが、真上を向いている。
茶碗を客前に出すときは、茶碗の顔(おもて)を正面とする。また、茶托の木目は、客に向かって横になるようにして、出す。このとき、客正面で茶碗を回
転することなど、不ざまである。
このところから客に対して忠誠を尽くす日本人の心が見えるのである。
2.3.2.2 茶菓のさげ方からみた「和」精神
客が、茶菓を移動し、その置いてあるところが、客の左にいるサービスマンから遠い場合:客が、腰をあげずとも、とれるならば、亭主としては、「恐れいりますが……」と述べて、客の手で、菓子皿、茶碗などを、こちらに、まわしてもらう。客が腰をあげなければ、とれない位置のとき、亭主は、ぐるっと、まわっていって、それを、とる。つまり、なるべく、客のまわりを、うろつか
ない。
客が茶を楽しむのに邪魔されないよう気をつけていることが分かる。
2.4 人と自然とのバランスから見た日本人の「和」精神
2.4.1 茶室から見た「和」精神
普通、茶室は森の中、あるいは草木が茂んでいる庭園や花園でに建てる。また材料は欧米の国の家とはだいぶ違う竹である。それで、茶室に入ったら、流れる水の音と鳥の鳴き声がかすかに聞こえるのである。また亭主は茶室の中の壁に茶室の中に掛物を掛け、花や水指?茶碗?釜などを用意する。茶室のすみずみを見ても自然に恵まれて、自然との調和が取れているということが分かる。
いわゆる日本独特の人と自然の「和」の精神の表れである。
日本の初期の茶室はただ普通の客間の一部分であった。日本式の家には必ず玄関がある。日本の茶室も玄関にあたるもので、ここではまず日本の玄関について述べたいものである。靴を脱ぐ必要がない欧米の家、日本ほどその規則が徹底していないアジア各国では、エントランスホ-ルはあっても、玄関というスペ-スはないのである。つまり、茶室というスペースもさらにないのである。入り口手前のたたきやホ-ルの隅を靴置き場にしている国がほとんどで、日本の玄関のように、茶室のように、そこがひとつの世界を形作っているのは、他に例がないのである。このような客との独特な空間を作ったとういことは、日本人はどれほど客との空間を重んじて来たかが分かる。つまり、「和」の精神
の客観的で、一番鮮明な表れである。
玄関は室町時代ごろから、和風建築に取り入れられたようである。江戸時代には武士階級の家しか、玄関と床の間を持つことを許されなかった。それほど格式のある空間だったのだ。外の世界と内の世界との境界線、神聖な場所として、日本人は玄関を大切に演出してきた。だから、よその家を訪ねる時も、お客様を玄関先でおもてなしするときも、独特のル-ル(つまり作法)があるのだ。
例えば、よその家を訪ねるとき、帽子と手袋は取っても、コ-トは着たままの方がよいとか、あがる時は前向きに靴を脱いでから、しゃがんで、靴の向きを反対に直すとか。歴史を振り返ってみると、今、自分が住んでいるマンションやアパ-トの、ささやかな玄関だって、とても意味深い場所だということがわかる。それで日本人は清潔感と整理整頓を重要視して、神聖で心地よい世界を心がける民族である。昔の一軒家は「勝手口」とお客迎える「玄関」がきちんと別れていたから、茶室は常に整然としていたものであったが、マンションはその両方を兼ねるところがほとんどである。自分では気づけないが、その家の生活臭は玄関先にも必ず漂っているのである。自分の家に伝わる置物や思い出の品物をワンポイント、玄関に飾る。それがたとえ、欧米風でも、エスニック風でもかまわない。どんなに洋風化した生活を送っているつもりでも、私たち
が靴を脱いで生活をしている限り、「和」の空間に支配されている。 そんなことを教えてくれるのが、玄関、さらには茶室というスペ-スなので
ある。
2.4.2 茶道具から見た「和」精神
日本人の精神は、しばしば「和」精神といわれている。「和」というと、妥協やなれあいをイメージする人もいるだろう。しかし、真の「和」精神には、生
命と宇宙の法則も現われているのである。
聖徳太子は、十七条憲法の第1条を分析しても「和」の心をもって、お互いに話し合えば、そこに自ずから物事の「理」が通うのだ、できないことなどあろうか、ということである。「人の和」は「宇宙の理法」に通じるという信念
を、太子は持っていたと思われる。
日本茶道のなかで精神は、人と人の間の「和」だけでなく、人と大自然との「和」、さらに、人と茶道具との「和」も含まれている。日本茶道観によると、あらゆる茶道具は生きているものであり、人々に尊重されているという。また茶道具に作者の名前をつける場合もある。茶道具を楽しむ場合は両手で慎重に差し上げ、その形とか、色合いを楽しむだけでなく、触ることから、それらが持っている性質と固有の情感を感ずるのである。茶道で使うあらゆる道具の使用においては絶対禁止という言い方はなく、客が思う存分それらを愛撫するようにされる。でも道具を持つときは静かに持ち、静かにおく。引きずったり、ぶつかったりするのはあまり好ましくない。それは「和」を乱すことを意味するからである。茶道具は不注意によって砕ける場合もあるが、この時、茶人たちはよく、丁寧にそのかけらを集め、それらをかみ合って模様をつけるのである。このような茶道具はかえって芸術的価値が上がり、世代に伝わる宝物にさえなっている場合もある。日本茶道における茶道具の価値は大切にされてきたその程度と仕方に左右されるのである。一つの平凡な飯茶碗であっても十分な愛を注ぎ、珍重な態度で扱い、親切に撫でり、それを一番目立つところに大切に安置すると、その茶道具の価値は急増するのである。日本茶道の成立早々の時代、千利休は朝鮮民間で使われてきたざらざらな飯茶碗を茶碗として使ったので
ある。今でも、そのような飯茶碗が模造され、使われている。
このように「和」という思想が、日本茶道に大きく影響していると思われる。
Ⅲ 結論
「和」精神は、日本列島に移住した人々を融合させ、日本民族を形成した原動力だった。この世界にもユニークな精神は、日本の自然の中で発達したものと
言えるだろう。このように古来から日本人は、人と人、人と自然の調和を心がけてきたことが分かる。国名を「わ」と呼んで「和」の字をあて、「やまと」には「大和」という漢字を使用したのは、「和」を重視してきた印であろう。聖徳太子は、その「和」を憲法に明文化し、理念として確立した。このことによって、日本人は「和」精神を一層発展させてきたのである。日本精神は、「和」精神、共存共栄の大調和の精神である。日本は「大和の国」と言われ、日本人は「和」を重んじる国民である。そのことを、私たちは、日本の神話や歴史の
中に見出すことができる。
この精神の原動力のもとで日本の伝統的な文化を築いてきたのがいわゆる日本茶道である。日本茶道の茶道具、茶室、亭主と客の作法、などのすみずみからも日本人の偉大な「和」精神が見られるのである。客を敬い、相手と仲良くしようとし、大自然を尊び、大自然と調和して共存しようとする日本人の性格の特徴。つまり、人と人、人と自然すべてのバランスにおける日本人の「和」精神が日本の茶道に根を下ろしたのである。このように、日本人の「和」精神は、思わず知らずもう日本茶道に大きな影響を与え、日本茶道ならではの独特なルールを作り、今日に至っては日本茶道においての隅々から日本人の「和」の思想が見られ、「和」精神の巨大な威力が感じさせられるのである。現在は人が人を大切にする時代ではなくなってしまった。他人のこころを傷つけ、他の人を踏み台にして自分だけがのしあがっていけばよいという人々であふれかえっている。こうした時代に人を敬い、 和みの世界と物事に動じない心を生み出していくのが茶道なのである。茶道とは、世界に誇ることのできる精神
文化といえるのではないだろうか。
参考文献
1 高橋忠彦 2000 『東洋の茶』 日本淡交社
2 张忠良.《中国世界茶文化》.时事出版社,2006. 3 张建立.《茶道と茶の湯》.日本淡交社,2004. 4 周文棠.《茶道》.浙江大学出版社,2003. 5 董尚胜.王建荣.《茶史》.日本淡交社,2003.
6 吴智和.《茶的文化》.台北行政院文化建设委员会,1984.
7 远明方.《禅与茶》.台北世界文物出版社,1988. 8 尹桂茂.《茶通》.天津科技翻译出版公司,1989. 9 王旭峰.《饮茶说茶》.浙江人民美术出版社,1993.